当山は江戸時代初期に、美濃国大垣城城主であった松平定綱が開基となり、維山丹公禅師を向かえて開山とされた、臨済宗妙心寺派の寺院です。現在は第21代住職の横関政徳が護持をいたしております。

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徳秀寺 永代供養みんなのお墓

徳秀寺 永代供養みんなのお墓

みんなのお墓 維持費込みの永代供養合同墓と個別回忌供養墓

五月と言うのにもう暑いです。 See MoreSee Less
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岐阜西教区支所長会議、花園会議、新年互礼会。信長さんは食えん!(笑) See MoreSee Less
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各務原の自得寺様13回忌出頭。 See MoreSee Less
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「無我」とは、自分が消えるとか、何も感じなくなるという意味ではありません。私たちはつい、自分と外の世界を分けて考えます。こちらが“私”、向こうが“他人”や“社会”だと。けれど、よくよく自分を見つめていくと、その境目は思っているほど確かなものではないことに気づきます。私たちの意識や心は、どこか別の場所から来ているのではなく、この身体があるからこそ、今ここに現れています。そして、その身体そのものも、自分が選んで作ったものではありません。毎日食べている食べ物が、他の命をいただいて成り立っているように、この身体もまた、多くの命や条件が重なって、たまたま今の形で存在しているにすぎません。だから、この身体は永遠のものではなく、常に変わり続ける、仮のものです。そう考えると、「生きている」ということは、自分の力だけで成り立っているのではなく、誰かが譲ってくれた命、誰かが支えてくれた条件の上に、かろうじて成り立っている状態だと言えます。命は、奪って手に入れるものではなく、譲られ、つながれ、受け渡されてきたものです。その譲るはたらき、相手を生かそうとする心がなければ、私たちは今ここに存在していません。では、自分の根底にあるものは何でしょうか。それは、「私」という考えでもなく、この肉体そのものでもありません。もっと深いところで、生かそうとするはたらき、譲ろうとする心が、今もなお働いています。それを仏心と呼んでもよいでしょう。それは、特定の仏さまや、お釈迦さまや、祖師方に属するものではありません。名前がつく前から、教えが生まれる前から、人が人として生きるところに、すでに働いているものです。「仏とは人なり」と言われるのは、人が特別だからではなく、この生かし合いのはたらきの中に、すでに身を置いている存在だからです。自分を自分として固めて生きるのではなく、この譲られ続けている命の流れに立ち返って生きる。それが、私にとっての一生の道なので See MoreSee Less
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「少水魚有楽」∼いま、ここを生きるしあわせ~ 岐阜西京区第三部 徳秀寺 横関政徳 今般六五〇年遠忌をお迎え致します処の京都・大本山妙心寺二世・興祖微妙大師の遺された遺品は数少ないのですが、その中の一つに本遠忌のキャッチフレーズ「少水魚有楽」の一幅があります。本山ホームページに、『本遠忌のキャッチフレーズは「いま、ここを生きるしあわせ」です。思い通りにならない人生だとしても、“いま・ここ”を精いっぱい生きることで、誰の人生にも“真実の楽しみ”が立ち現れてくる。微妙大師の「少水の魚に楽しみ有り」という言葉には、そんな教えが示されているのではないでしょうか』とあります  あるボランティアが東日本大震災の炊き出しで目撃した、壮絶な光景 瓦礫と化した街。絶え間なく続く余震。地獄のような光景の中、被災者のために黙々と食事を配る、一人の若い自衛隊員の姿があった。しかし、彼の表情は苦痛に歪み、その目からは大粒の涙がとめどなく流れていた。突然、彼は天を仰ぎ、叫んだ。「俺だって家族が見つからないんだよ!俺だってこんなところにはいたくない!」その場にいた誰もが、息をのんだ。彼もまた、この未曾有の災害で家族の安否すら分からない、一人の被災者だったのだ。自分の家族を捜しに行きたい。その想いを押し殺し、彼は任務を遂行していた。しかし、一部の被災者から浴びせられた心無い暴言が、彼の心の最後の砦を崩壊させた。駆けつけた他の隊員たちが、彼を必死に止めようとする。しかし、その隊員たちの目にも、そして彼を叱責する上官の目にも、同じ涙が光っていた。彼らもまた、帰りたいと願う家族の元へ帰れず、国民のために、ただひたすらに救助活動を続けるしかなかったのだ。              遠忌について揺るぎない正しさを何処に置くのか。 「苦」とは「苦」について此の少水の魚について、語るに当って人間の苦というものを今一度初心に戻って考察するに、仏教においての「四苦八苦」という原点に戻りその概要を確かめておく。 仏教における「苦」、巴: dukkha、梵: दुःख, duḥkha、蔵: sdug paは語源として「ドゥッカ」の「ドゥッ」(duḥ = dus)は、「悪い」という意味、「カ」(kha) は「空間」、「穴」の意味である。「ドゥッカ」という言葉は車軸が真ん中を通っておらず、乗り心地の悪い様に由来するという。サージェントによれば、ドゥッカとは、もともと「悪い車軸の穴」というような意味をもち、転じて「不快」を意味したという。四苦八苦生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。人生の苦の総称。生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)、八苦とは愛別離苦(あいべつりく)<愛するものと別れる苦>、怨憎会苦(おんぞうえく)<怨み憎まねばならないものと会う苦>、求不得苦(ぐふとっく)<求めて得られない苦>、五蘊盛苦(ごうんじょうく)<総じて人間の活動による苦>の四苦に先の生老病死の四つを足して八苦。日  では楽しみ苦しみと感情の基準が今ここ、によって変化するのは無常ではないのか「いったいどういうことなのだろうか」とわざわざ暗闇に頭を突っ込むのが我々凡人の悪い癖であります。楽しみを求めるあまりに、何処かに良い教えは無いか、あそこに行けば救われる、何処そこから来られた立派な人だと勝手に自分の偶像を作り上げてしまうのである。そもそも外に問う事態間違えであり、人の答えで納得する訳が無く、他人の灯を使って理解しようというのは己の見識を惑わすものである。其が伝わったという事、興祖という御名前のとうりに、端的に釈迦牟尼世尊、初祖達磨大師、より伝わる御教え、自己本来の面目を素直に見つめる事、御住職と共にコツコツと学ぶことこそ安楽の道が開けるのではないだろうか。 前回、大本山妙心寺開山無相大師・慧玄禅師様の650年遠忌のテーマは、開山さまが遺された遺誡のなかに「老僧を忘却する日ありとも、応燈二祖の深恩を忘却せば、老僧が児孫にあらず、汝等請う其の本を務めよ白雲は百丈の大功を感じ虎丘は白雲の遺訓を歎ず、先規茲の如し、誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫んば好し」から『汝等請う其の本を務めよ』が引かれた。「私の事を忘れる日がこようとも、大応国師、大燈国師からいただいた御恩を忘れるような事あらば、私の弟子ではない。くれぐれもその本を務めるように~」ともある。 少水の魚とは我々凡夫の事であると言います。確かにアップアップしている私には刻一刻と過ぎていく寿命のようにも見える。確かに少ない水であれば範囲も長さもある程度は理解、想定も出来るであろう。しかし本来この刹那にしか存在しない我々は今この時が事実として最後の時と成りえるとは中々思えないものである。であるからこそ勤めて過去でも未来でも無い此の刹那にしか存在し無い己の限りある人としての生命の有難さを人生の節目として法要供養をもって、共に坐禅念仏修行と集中して体感する事が大切なのではないでしょうか。  微妙大師は、無相大師の下で「本有円成仏・ほんぬえんじょうぶつ」の公案に参じ、修行研鑽を積まれたとお聞きします。我々も私などという表面的なものでなく本来の自己、生ずる前から受け継いだ根底の魂(魂魄=心と身体)そのものを素直に徹底して見つめ、有難きも奇跡の様に幾万の受け継いだこの心と身体は「ほとけとは、ひととしひとの尊さ也」と我執を離れてこそ現る受け継いだ本来の魂の尊さに気付き、此の尊き佛そのものである本有円成仏になりきって各々の人生を無駄にせぬ事が我々凡夫の本当の意味での安心の人生、樂そのものと成りえるであろう。 仏道無上誓願成 受け継いだ此の世にある限り使っても使っても無くなる事の無い受け継いだ心と身体、魂の限りある尊さに気が付けば、万事塞翁が馬、不動の本来に戻って苦も樂と成るのである。「出来ないことなど何も無い」やらない者の言い訳などする必要が無い、例え思いと違う結果と成ろうとも娑婆の成功という囚われではない受け継いだ本来の私がその輝きを保ち養って有るならば、振り向けば本来の自己が歩いた安心の道が、誰に遠慮なく残るものであろう。最後に皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。 See MoreSee Less
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